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■ 昇進スピードは早くなったが、成果なければ降格!の管理者

       
2005年10月4日  

 成果主義が少しづつ様変わりしている。一方で導入以来の成果主義をさらに強化しようとし、もう一方では成果主義と表裏一体の感がある目標管理を廃止するなど、新たな成果主義を歩もうとする企業も出始めている。

 管理職への昇進は社員の一大関心ごとであるが、昇進スピードは早くなってきたとの調査結果が(財)労務行政研究所より出された。優秀な人材を早期に登用する動きが活発化した結果とみえるが、その反面能力や成果の落ち込みを処遇に反映する降格制度も導入されている。昇進スピードを早めている理由は、“成果主義、能力主義の浸透”“若返りをはかるため、若手を積極登用した”“年齢構成上、中高年層が少ない”“昇進・昇格の基準(滞留年数や年齢)を引き下げた”などがあげられており、降格制度は“資格・職務と成果のギャップの是正”“公正な処遇の実現”“人事考課の公平性・納得性の向上”“社員の意識改革、職責の自覚の醸成”“個人の目標の確実な遂行・達成”を狙っての導入である。
 降格制度の運用実態となると、少々及び腰の感がしないでもない。一定期間の人事考課の結果の累積を判断材料としている企業が圧倒的に多いが、“降格者のモチベーションの低下”、“降格させた後の配慮の難しさ”、“管理職の評価が一定でないため裏づけとなる評価の信頼性確保の難しさ”など、意識面・制度面の問題点が浮上している。

 成果主義といえば目標管理、というようにセットで導入している企業は多く、目標の設定から達成度評価までの成果を測る尺度として当たり前のように採用されている目標管理。これなくして成果主義は成り立たないと考えられておられる方も多いようだ。
 その目標管理を廃止してしまった!企業が出た。トヨタと並んで勝ち組企業の筆頭に上げられる企業のその決断たるや波紋は大きい。この企業では、成果を“目標達成度”と“日常業務遂行度”で評価していたが、目標達成度を測るツールが目標管理だったわけである。目標達成度には評価の基準は設定されていたが、日常業務遂行度には明確な基準をもっていなかったことで評価の曖昧さや混同が生まれてしまった。日常業務遂行度の評価が悪くても、部下との面談では明確な説明ができないために、目標達成度を理由にして辻褄を合わせ納得させていた、という。思いきってこれらを廃止し、“役割達成度”と“行動”に変更し、職務に応じた役割シートを設定した。これによって、個人の役割・期待が明確になり、以前の目標達成度と日常業務遂行度が統合された形で評価できるようになり、管理者にとっては評価しやすく、また説明しやすい評価形式となった。
 成果主義に対する議論は尽きることはないと思うが、以上の例を見るように各社工夫を施して運営にあたり始めている。評価結果が悪くてもチャレンジしていれば昇格させる、評価を機械的に賃金に反映せず総合評価も絡ませるなど、真剣に自社版成果主義に取組んでいる企業が注目されてきそうだ。

 10月1日は4年振りの国勢調査の日であった。歴史に残る年となりそうな今回の国勢調査であるという。これまで−石器時代から縄文と続き現代までの日本の歴史という意味で−日本の人口は増加し続けてきた。それが再来年頃から減り始めるので、今回の数字がピークとなり、つまりは今回の国勢調査が日本の人口では頂上におさまるという意味で、歴史に残ると表現されたのだろう。少子化と高齢化という両極端の人口構成の中で日本人の生活や経済はどう変わるのか、初めての体験の入り口はすぐそこまで来ている。
 学者の研究による日本の人口の推移が新聞に載っていたが、それによると、縄文時代の人口は約26万人、弥生時代は約60万人、奈良時代は約450万人、時代は飛んで江戸中期には3,100万人程度になっている。その後、明治時代は4,500万人台に入り、大正時代は5,600万人、1億人を突破したのは昭和45年ということだ。縄文のはるか昔、この日本の国土には30万人足らずの人間しか住んでいなかったことを思い浮かべると、その後の爆発的に増えていく我々日本人のエネルギーを強く感じる。
 連想ゲームのように思いが、司馬遼太郎氏が「街道を行く」で訪れた「湖西の安曇人」へと飛んだ。氏が著した「街道を行く」の中で最も好きな街道の一つである。
 「日本民族はどこからきたのだろう」…明確な答えの出せない、この問いに「湖西の安曇人」の中で氏はこう書いている。
 『…しかし、この列島の谷間でボウフラのように湧いて出たのではあるまい。はるかな原始時代には触れぬ方が利口であろう。しかしわれわれには可視的な過去がある。それを遺跡によって、みることができる。となれば日本人の血液の中の有力な部分が朝鮮半島を南下して大量に滴り落ちてきたことはまぎれもないことである。その証拠は、この湖西を走る車の窓の外をみよ。無数に存在しているではないか』
 日本国家ではなく、日本人の原郷を求め続けた氏の思いが伝わってくる。
 縄文よりもっとはるか昔、ユーラシア大陸の果ての、後はもう広い海しかないこの日本の土地に最初に足を踏み入れた人達は、ほんの数人の家族だったかもしれない。いまでは1億3千万の人間がひしめき合っているが…

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